方舟、附属小学校
先日、数年ぶりに附属小学校時代の友人Oに再会した。彼はいつも先を見据えている男だ。2000年1月、彼は自分の部屋にテレビを導入するべく、新年早々ヨドバシカメラの行列に貯めた小遣いを握りしめて並び、VHS付の小型テレビを購入したという。観たい番組は当時久米宏が司会を担っていたニュースステーション。これからの世界を見据えるのだという彼の熱い言葉、その行動力と計画性に、なんとしても彼と友達になりたいと思ったことを昨日のことの様にはっきりと覚えている。
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色々と思い出話が咲く中で、僕らは必ずAのことを話題にすることを忘れない。あいつは本当にお調子者で、そのくせ人一倍寂しがり屋なところがあったから、Aは今もきっと僕たちさくら学年を見守ってくれているだろう。Aとは酒を飲むことが出来なかった分、空に献杯する。
附属小学校の校舎はまるで大空にぽっかりと浮かぶ方舟のようだった。その船は、一体いつ寝ているのかと言わんばかりの恩師たちの血と汗と涙、そしてそこに息づく子どもたちの喜怒哀楽が原動力となっていた。放課後、校舎を出ると真っ直ぐに西日が眩しく、その強い光は、自分自身の惨めな気持ちを慰めてくれる様な、そんな光だった。音楽が好きだ、でもどうすればいいのだろうか、そんな迷いの中にいたあの頃の僕がそこにいた。個性豊かな我らさくら学年はいつも大人たちを困らせながら、それぞれ悩み、苦しみ、時に言葉にできない刹那の喜びを経て、自分自身のそれぞれの道を歩んでいる。
今も方舟は浮かんでいる。世代が変わっても、それぞれに悩みを持ち、もがきながら歩んでいる子どもたちを、方舟附属小学校は大きな慈悲を持って、包み込んでいる。同窓生として、過ぎ去った日々を思い起こし、そして未来の子どもたちのために、今自分が出来ることはなんだろうかと思いを馳せている。
【2024.03】
打楽器奏者/作曲家。1988年宮城県仙台市生まれ。2001年宮城教育大学附属小学校卒業。附属小学校在学時から音楽に特別な思いを抱き、現在に至っている。