人生の道標をくれた場所
『自分は教師に向いていないだろうな』
自問自答していた大学3年生の夏。教育実習で附属小の門をくぐりました。4年3組への配属。子供が苦手だと思っていた私は、正直あまり気分が乗らないまま、実習の日を迎えていました。『せっかくの夏休みなのに実習か』と。しかしそれは、教室に入るまで。溢れる生命力。自分の何倍ものパワー。生きる源のようなものを肌で感じました。
・・・
それから2週間の実習は、自分自身の教師に対するイメージ、固定観念を大きく覆す時間となりました。子供と接する時間の尊さ、子供たちの無限の可能性。そして、教師という仕事の魅力を感じて、最終日は仲間と一緒に涙を流す自分がいました。実習を機に『小学校の先生に、絶対になる!』と決意し、それまで身が入らなかった勉強に注力。無事に教員採用試験に合格して「小学校教師」になりました。附属小学校での教育実習が、まさに最初の「道標」をくれました。
その後、初任校で3年間を過ごし、次の異動先はどこだろうと思っていた矢先、まさかの「宮城教育大学附属小学校」に配属が決まりました。授業力、教師力、人間力…何も身に付けていないままの配属で、正直、失敗の連続でした。自分以外の周りの先生は、どの先生もみな魅力的なスーパー教師でしたので、『どうしてこの学校に来たのかな』と弱気になる自分もいました。しかし、失敗を繰り返すうちに見えてくるものがありました。それは、「失敗しても、教師を楽しんでいる自分」の姿でした。
朝、教室に行けば笑顔で迎えてくれる子供たち。「先生、一緒に校庭に行こう!」と声を掛けてくれる子供たち。「大丈夫、大丈夫。俺もそうだったよ。」「失敗してもなにも問題ないよ。」「飯行くか。」と励ましてくれる同僚の先生方。「子供たちがいつも楽しそうですよ!先生!」と、あたたかい声を掛けてくださる保護者の方々。附属小学校で出会った全ての方々が、私の背中をあたたかく、そして力強く押してくれました。そのおかげで、4年間という短い時間でしたが、自分の教師人生にとってかけがえのない、そしてこれから先も自分の教師人生の軸となる「経験」をさせていただきました。この経験全てが、附属小が私にくれた第2の「道標」です。
今は少し離れた福島の地にいますが、日々子供たちと接する中で迷いなく、自分を信じて歩めるのは、この4年間があったからです。あらためて感謝いたします。これからも、附属小学校に関わる全ての皆様に、幸多き時間がありますよう、福島の地から思いを馳せております。このような貴重な機会をいただきまして、ありがとうございました!
【2024.03】
宮城教育大学在学中に東日本大震災を経験。故郷・福島県の教員採用試験を受けることができず、仙台市を受験。翌年2012年から仙台市教諭に。2015年4月〜2019年3月まで宮城教育大学附属小学校教諭。現在は故郷・福島県にて現職。